占いコラム
子育て
2020.05.05
桃太郎のお話
これに対して「退治」は「治めて退ける」こと。 つまり、鬼が謝ったら許したということです。 悪から善へ、陰から陽への転換です。
新型コロナウイルスの騒ぎで毎日過ごしておりますが、本日から令和2年5月度であり、ふと気づけば「子供の日」を迎えておりました。
今日はそれにちなんで、童話の世界のお話をしたいと思います。
最近は童話の話をして聞かせる親も、おばあちゃんもあまりいないと思うのですが、童話は実にたくさんのことを教えてくれます。
昔の子は、童話を聞くことで、知らずしらずのうちに、必要な心を養っていたのです。
では改めまして。
題材は桃太郎です。
※以前noteでも書かせていただきました。そちらと重なる部分と、少々加筆した部分がありますので、併せてお読みいただき、ご理解を深めていただけますと幸いです。
桃太郎のお話は、(最近の子供はどうだか知りませんが)誰しもが幼い頃に触れ、絵本などで知っていると思います。
桃から生まれた桃太郎が、猿とキジと犬をお供にして、鬼ヶ島に行き鬼退治をする話です。誰もが知っている話ですが、実はこの物語には、実に深い意味があります。
桃は古事記でも、穢れをとる果物として書かれています。
太郎は男の子ですから、桃太郎は「穢れをとる男の子」です。
鬼は牛の角に、トラの毛皮を身につけた人ですから、方位の丑寅のことを表しています。丑寅は陰の世界で「潜在意識」を表します。
ちなみに丑寅方位のことを「鬼門」と言います。
そこにつれていったのが、猿とキジと犬です。
方位では申(西南西)、酉(西)、戌(西北西)で隣り合っており、陽の世界で「現実」を表します。
つまり、桃太郎は陰の世界と陽の世界を中和させ、中庸というバランスが取れた世界を実現する話です。
桃太郎が猿とキジと犬に与えたのは「きびダンゴ」です。
これは食べ物のダンゴではなく、正しくは「気霊(きび)団子」で、真心を与えたということです。
西は攻撃本能を表しますから「心を与えてたしなめた」ということです。
さて、鬼ヶ島についた桃太郎は、鬼が謝ったら許してやりました。
やっつけはしなかったのです。
やっつけることは「鬼征伐」ですが、桃太郎は「鬼退治」をしました。
「治めて退いた」のです。鬼を、許すことで改心させたのです。
こういうことを桃太郎は教えてくれているのです。
なぜこんなお話になったのか、算命学的に紐解いてみましょう。
ちょっと難しくなりますが、「子供相手に適当に作った話ではない」ということが伝われば大丈夫です。
まず「桃」という字は、「木」に「兆」と書きます。
「木」は五行でいうと木性で、生命のあるもの、つまり人間です。
「兆」は兆し、前触れ、占いを表します。
桃はイザナギ・イザナミのお話でも出てきます。
「太郎」は男の子の名前、つまり「桃太郎」という男の子の将来を意味するお話です。
「桃」とは「百」であり、桃太郎とはちょうど100番目の神であるスサノオのことでもあります。
「桃」は春に芽が出て葉が繁りはじめ、春から夏にかけて花を咲かせ、夏になると実をむすび、そのまま自然に実が落ちます。
桃太郎は春に生まれ、夏には立派な若者に育ち、秋にはかねてから村民を苦しめていた鬼を退治にと出かけます。
秋は申月、酉月、戌月です。お供にさる、きじ、いぬを従えての出発です。
鬼ヶ島には荒波を越えて、やっと辿り着きます。
寒い冬の亥月、子月、丑月を越えるところに鬼ヶ島があります。
つまり鬼門です。鬼門とは丑寅の方位です。
この丑寅を越えて、やっと春がやってきます。
鬼門は太陽が通る道。
つまり天の気が入るところです。
天の気を妨げる「鬼」を退治することで、一家の安全を願うことができるということです。
鬼を退治して鬼ヶ島を出る頃が春、海を越えて村に着く頃が夏の終わり。
未申の裏鬼門の頃です。
丑寅を越えるということは、一年の終わりが「丑」で、一年の始まりが「寅」ですから、前の一年を乗り切って、次の一年を迎える間に苦難を乗り越えるという話です。
※丑は1月度で1年の終わり、寅は2月度で1年の始まりです。
桃太郎のお話は、一家の安全を願うと同時に、その家の男子、特に長男を思い、無事に一年が過ごせますよう願った民話ということのようです。
※鬼門:丑の角に、寅のパンツをはいている。
※退治:一歩退いて治める。
※鬼:現世に生きている人の持つ「魂」。その「魂」から「云う」という字をとると「鬼」になります。ということは、もの云わなくなったことにより「鬼」は先祖になります。
その「鬼」に対して、一歩退いて治める「鬼退治」ということは、先祖に対して一歩退いて治める。これは、先祖の幸せを祈ること、つまり供養の心です。
確かなことではないのですが、現代の「桃太郎」は「鬼征伐」になっているようです。
「征伐」と「退治」では、大きく意味が違います。
「征伐」というのは、完膚なきまでやっつけたということです。
ゲームのキャラクターと同じことですね。
これに対して「退治」は「治めて退ける」こと。
つまり、鬼が謝ったら許したということです。
悪から善へ、陰から陽への転換です。
こういうことを子供のときから教える手段を考えた日本人は、本当にすごいと思います。
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