時々「他の先生に観てもらいます」という人がいますが、ひとつの事実が、観る人によって鑑定が変わるというのがおかしいわけで、私どもが「過去に外したことがない」というのは事実ですから、私どもと違う鑑定をする人の方が、間違っている可能性が高いわけです。
師匠も、ガンに対して大師匠が何をされるのかは、まだわかっていなかったわけですが「どうしてですか?お金に困っている家ではないし、『助けたい』なら、やれることはやるでしょう」と言ったそうですが「そうじゃないんだなぁ。でも、どういう決断をされても、叔母さんを責めてはいけないよ。どれも間違いじゃないんだから」とも言われたそうです。
自殺も地縛霊になりますが、理由は別の意味なので、死んで楽になろうと思って自殺しても、地縛というペナルティをもらったのでは、楽になるどころか別の苦しむが増えて、何の意味もないことになります。
私どもの大師匠が、ある自動車メーカーから依頼を受けて、ル・マンで勝たせるためにオフィスから改善をして、見事クラス優勝させたのに、お金の話をしていなかったことに気がついて、聞いてみましたら「(自動車メーカーから依頼していたのにも関わらず)あれは偶然だ」で片付けられて、1円も払ってもらえなかったことがあります。
もっとビックリしたのはお医者さまで、「この人は検査をしたことがないのに、どうして胃ガンがわかったのか?」と問い詰められたそうですが、まさか「占いの先生があてました」とも言えず、誤魔化すのに大変だったそうです。
供養の日は晴れていたのですが、供養を始めたら、晴天の中で横殴りの雨が降るという怪奇現象が始まって「この雨は、どこから降っているのだろう?」と思いましたが、供養が終わるとピタリとやみました。
「成仏していない霊」というのは、「成仏できていない」→「亡くなる時の痛みや苦しみに執着している」→「あの世に渡れない」ということになるわけです。
”霊感”というのは、生まれつき持ってる人もいれば、後天的な環境で身に付く人もいます。
”先祖供養”をきちんとされている家からは、以降に生まれる子に、そういうデータが出てこないので、読み取れなくなります。
このことを(普通の心理学ではなくて)深層心理学の先生と話をしたときに「それは心理学的に真実です」と言われたことがあります。
コラムでよく書いている私どもの長年のお客様は、風水と先祖供養でガンの原因をシャットアウトしていますから、早期発見どころか、ガンそのものが過去に一度も起きていないわけです。
”同じことをする”とは、自分を変えた実績や、人を助けたことのある事実を確認して、「その人と同じことを繰り返す」ということです。
多くの人は「人生を変えたい」と願っても、その手段にたどり着くことはありません。 それが目の前にあるというのに、使わないのはもったいないなと思うのです。
本来電磁波は、生物の生存の邪魔をするはずなのですが、”害”になる鳥や動物というのは、反対にそういう環境を好むようです。
武蔵野算命塾の勉強会のノウハウは、確実に人生を変えます。
いまひとつ運勢が良くないと感じるなら、まずは持って生まれた宿命を知り、役目を果たす生き方に近づけていきましょう。
”占い”というのは、知識であるよりも道具なので、使ってはじめて意味があります。
今の状況を何も変えないで、結果だけ変えた人って、見たことありますか?
上皇陛下が皇太子時代に「浩宮(現在の天皇陛下)が最後の天皇になるかもしれない」と言われたことが、現実味を帯びてきてしまったように思えてきます。
ネットで探したりしますと、占いで生計を立てているという人を見ることはありますが、そういう先生にわからなかった問題が、こちらにまわってきたのには笑いました。
心がしっかりしていれば、結果がとんでもないことになることは、まずありません。
星より親の生き方の方が、子供に遺伝していく可能性が大きい場合が結構あります。
「足の裏の汚れは、人生の汚れ」であることがわかります。
「業」が消えていませんと、先祖の「苦」の上に乗っかった人生になりますから、納得のできない人生になりがちです。
基本的には、自殺者がいると3代以内に自殺が繰り返されます。 気の縁がある人がいませんと、この原則にのらないことにはなりますが、これもエネルギーですから、勝手に消滅することなどはなく、原則から外れても、必ず誰かが繰り返すことになります。
私どもの会では、どちらもやっておりますから、そのふたつの理論の重要性もわかりますし、「どれが欠けても(短期的な成功はあっても)永続的な成功はない」ということは事実なので、そのすべてを改善しようとするわけです。 それくらい、事業の成功というのは難しいということです。
私どもの会員さまには、これまでガンも出ておりませんが、こういう流行り病も出ていないわけです。
「天の力」を借りるには、いろいろなノウハウがあって、また条件があるわけですが、最低限度の条件は「天の理(ことわり)」に沿った生き方をしているということです。
「お盆」と「お彼岸」をしっかり過ごすことです。 今年の「お盆」と「お彼岸」は重要ですよ。
算命学的に考えれば、人間は「残すため」に生まれてきております。 業績でも、財産でも、生き方でも、弟子でも、人間は「残す」ことに意味があるのです。