占いコラム
先祖供養
2023.09.19
先祖の波が騒ぐ
このことを供養の世界では「先祖の波が騒ぐ」という言い方をするのですが、感覚的に言えば「供養をしてよ」と先祖が寄ってきて、肩を揺さぶっているような状態で、先祖というのはマイナスの気なので、生きている人間(プラスの気)にとっては、「生きることを邪魔する気」になりますから、それが現象として、ガンや頭の病気として出てくることになります。
明日から彼岸ですが、彼岸にすべきことは墓参りです。
連休があるからといっても、レジャーのためではありません。
連休というのは最近できたもので、先祖には関係ありませんから、「連休だから行けません」というのは、先祖には通用しません。
かといって、連休がある以上、それを利用してレジャーに充てるのは当然のことなので、その場合は連休前にお墓に行って、その事情説明を口頭ですることです。
霊能者が共通していうのは「先祖のこの世への記憶は、亡くなった時で止まっている」ということなので、「今年は連休になっているから」という理屈は理解できませんから、説明してあげないといけないわけです。
「うちはカトリックだから」というのは通用しません。
家の宗教(宗派)を勝手に変えることを「宗派変え」と言いますが、それは家系のある人がカトリックに変えただけで、家の宗教(宗派)はあくまでも昔から続いてきたものですから、それをカトリックであろうが、別の仏教であろうが、変えることは先祖からすれば「大きなお世話」で、この時だけは「先祖が祟る」と言われております。
先祖は宗派変えをしようが、亡くなった時の宗教(宗派)で祀られると思っていて、先祖が成仏できない理由を取り除く(供養)ことができるのは、先祖ではなく子孫だけで、その子孫がカトリックに変えようが、先祖は家の宗教(宗派)しかわからないので、「どうして供養してくれない?」とか「どうしてお墓に来てくれない?」ということになるわけです。
霊能者なら先祖が訴えていることは理解できるのですが、普通の人にはわかりませんので、先祖はわかってもらおうと思って、生きている人にとってはありがたくない現象で知らせようとします。
これは仕方のないことで、子孫がきちんとすべきことをやっていれば、先祖もそういう手段をとらないわけで、日本人の脳には、例え無宗教でも「民族統合の意識」として「仏教」が刷り込まれておりますから、「うちはカトリックだから」というのは変えた人の言い訳で、先祖には関係ありません。
ですから、彼岸にお墓に行くのは先祖の「当たり前」で、それをしていないと先祖は「なぜ?」と訴えてくるわけです。
このことを供養の世界では「先祖の波が騒ぐ」という言い方をするのですが、感覚的に言えば「供養をしてよ」と先祖が寄ってきて、肩を揺さぶっているような状態で、先祖というのはマイナスの気なので、生きている人間(プラスの気)にとっては、「生きることを邪魔する気」になりますから、それが現象として、ガンや頭の病気として出てくることになります。
お墓に行かないとか、年忌をしないと、先祖は「供養をしてよ」とか「お墓に来てよ」と訴えることになりますから、いわゆる「先祖の波が騒ぐ」という現象が起きて、子孫は悩むわけです。
師匠も若い頃に「先祖が祟っている」と現象に悩まれておられましたが、大師匠に出会って、それが「祟り」ではなく「訴え」だと教えられてから、それを解消する道を選び、変な現象は起きなくなりました。
ここまでの話を理解した方でも、今までやってきておらず「これからはきちんとやるから、今までごめんね」ということが通るほど甘くはありませんから、それなりの処置が必要です。
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