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2022.03.08
天皇は精神的な柱
上皇陛下が皇太子時代に「浩宮(現在の天皇陛下)が最後の天皇になるかもしれない」と言われたことが、現実味を帯びてきてしまったように思えてきます。
先ごろ、天皇陛下が誕生日を迎えられました。
天皇陛下は国王ではありませんし、なんの権力も有しておりません。
憲法には”国民の象徴”と書かれているだけです。
上皇陛下(先の天皇陛下)も解釈に苦しまれたようです。
日本には”皇紀”という年の数え方があり、それによると今年は皇紀2682年になります。
皇紀元年は神武天皇の即位の年になっております。
日本書紀の記述をもとにしたものですが、最初の方は、神話とごちゃまぜになっているので、5代くらいまでの天皇は、実際にいたかどうかわからないと言われております。
そういう意味では、キリストの誕生を紀元とする”西暦”と似ています。
つまり、天皇家の歴史は、神話の時代に始まっているわけで、その天皇を神と祀りあげて戦争に利用したのが、第二次世界大戦の悲劇でした。
しかし、駐留軍も「天皇は日本人にとって特別な存在」ということで、日本国憲法に”象徴”という難解な解釈で残しましたが、その内容については触れられませんでした。
もちろん、法的にはさまざまな解釈があるのでしょうけれども、私は天皇は日本人にとって、”精神的な柱”なのではないかと思っております。
だからこそ、戦争の責任を負っているかもしれない天皇に、なんの権力もない”象徴”でありながら敬意を払い、特別な感情を抱いているのだと思います。
記憶に残っておりますのは、東日本大震災の被害者の慰問の際に、当時の菅総理は「帰れ!」と言われて数分で退席したのに、上皇陛下(当時の天皇陛下)には誰も「帰れ!」なんて言わなかったし、上皇陛下御夫妻も高いところからではなく、冷たい床に膝を落として、被害者に声をかけられました。
これが「”象徴”として国民に寄り添われた」わけです。
上皇陛下はことあるたびに、被災者にねぎらいの言葉をかけ、南太平洋まで行って(誰も参列者がいないのに)海に向かって頭を下げられたわけですが、このような姿勢が国民に共感を持たれていたことは事実です。
しかし、現在の天皇陛下は、この2年間のコロナ禍においても、医療関係者にねぎらいの言葉をかけるでもなく、感染者を気遣うわけでもなく、ただ自分の誕生日に一言述べただけという、”象徴”としての存在を疑うような有様です。
これでは、上皇陛下が皇太子時代に「浩宮(現在の天皇陛下)が最後の天皇になるかもしれない」と言われたことが、現実味を帯びてきてしまったように思えてきます。