いまひとつ運勢が良くないと感じるなら、まずは持って生まれた宿命を知り、役目を果たす生き方に近づけていきましょう。
”占い”というのは、知識であるよりも道具なので、使ってはじめて意味があります。
今の状況を何も変えないで、結果だけ変えた人って、見たことありますか?
上皇陛下が皇太子時代に「浩宮(現在の天皇陛下)が最後の天皇になるかもしれない」と言われたことが、現実味を帯びてきてしまったように思えてきます。
ネットで探したりしますと、占いで生計を立てているという人を見ることはありますが、そういう先生にわからなかった問題が、こちらにまわってきたのには笑いました。
心がしっかりしていれば、結果がとんでもないことになることは、まずありません。
星より親の生き方の方が、子供に遺伝していく可能性が大きい場合が結構あります。
「足の裏の汚れは、人生の汚れ」であることがわかります。
「業」が消えていませんと、先祖の「苦」の上に乗っかった人生になりますから、納得のできない人生になりがちです。
基本的には、自殺者がいると3代以内に自殺が繰り返されます。 気の縁がある人がいませんと、この原則にのらないことにはなりますが、これもエネルギーですから、勝手に消滅することなどはなく、原則から外れても、必ず誰かが繰り返すことになります。
私どもの会では、どちらもやっておりますから、そのふたつの理論の重要性もわかりますし、「どれが欠けても(短期的な成功はあっても)永続的な成功はない」ということは事実なので、そのすべてを改善しようとするわけです。 それくらい、事業の成功というのは難しいということです。
私どもの会員さまには、これまでガンも出ておりませんが、こういう流行り病も出ていないわけです。
「天の力」を借りるには、いろいろなノウハウがあって、また条件があるわけですが、最低限度の条件は「天の理(ことわり)」に沿った生き方をしているということです。
「お盆」と「お彼岸」をしっかり過ごすことです。 今年の「お盆」と「お彼岸」は重要ですよ。
算命学的に考えれば、人間は「残すため」に生まれてきております。 業績でも、財産でも、生き方でも、弟子でも、人間は「残す」ことに意味があるのです。
天は約束を守れば、必ず応えてくれます。 しかし、このことは皆さんに教えるのですが、本当に泣き言を言わなかったのは、この二人しかいません。 天中殺は、それほど厳しいのです。
当てることは「スゴイ」のではなくて「当然」で、「当てられなかったら異常」だということを知ってください。
そういう能力がある人が、能力を使わないでいると、天は「怠けている」と観ているわけで、そういうところは厳しいのかなと思ったりします。
指にはそれぞれに意味がありますが、「さかむけ(ささくれ)」が出来たら、その意味に置いて善意であっても、その指の意味において「やり過ぎ」ということになります。
頭を意味不明にぶつけたり、足の甲にものを落としたりするのは、「先祖からのお墓への出頭命令」です。
お墓を作らず、ビルの中に骨壷を納めるやり方が流行っているようですが、これをやりますと、前述の問題に加えて、さらに厄介な問題が起きてきますので、お勧めしておりません。
月の毎日の変化なんてほとんど無いのですが、月を観ているとき以外の生活で変化が感じられるようになると、変化に敏感になって、そして自然を受け入れる気持ちになると、月が大きく感じられるようになるわけです。
先祖の「訴え」には特徴がありまして、身体の部位では頭と左半身、時期でいえば天中殺に起きる現象の大半ということになります。
そして手術の日、麻酔の先生が「だいぶお待ちになりましたね」と言われたので、「ええ、3ヶ月待ちました」と答えましたら、「そんなわけはない!うちは手術の予約がいっぱいで、このガンなら1年待ちですよ!」と言われたそうです。
このようにして日本人は、やってはいけないことを「バチ」という言葉から学んだわけです。
「黙って聞いていなさい。君が言うことは私も知っています。でも、そんな自分と決別するために努力をしたんだろう?時が経てば、その努力は、こういう形で現れるということだ」と言われました。
努力をして”時”を待ちなさい。努力が形になるためには”時”がかかります。
私どもの会は「人生を変える方法を学び、実践する会」ですから、人生を本気で変えたい人が来てくれればよろしいわけですが、それ以外の目的で参加されるのも構いませんし、それぞれが活用していただければ、それは自由なわけです。
同じことを教えて、同じことをやっても、変化は人によって違います。 それは、本人に身についている運気というエンジンの力(馬力)と、どれだけスピードをもって改善をしたかということにかかっています。
活性化した身体に、運気が加わりますと、人生がいい方に働き出すのは、当然のことです。