私どもが教わった方法で”供養”しますと、確かに、普通では起きないことが起きますので、「供養が通った」と解釈しているわけです。
先祖のあの世での幸せを祈って「おしあわせに」という一言であるということを教えると”形”ができ、「形ができると心はついてくる」ので、自然と先祖を敬う気持ちが出来てきます。
大きな声でなくても構いませんが、腹に力を入れて、ゆっくりと話すのがコツです。
”先祖供養”の世界には「普通では起きないことが起きたら、先祖供養が通ったと思え」という言葉がありますので、ある方が先祖供養をしても何も起きなかったら、先祖供養はできていないと考えてよろしいでしょう。
過去にガンや自殺がいたという情報でさえ、生年月日にインプットされるくらいですから、先祖の訴えくらいなら簡単に現象に変えてしまうわけです。
お墓参りと先祖供養は違います。 お墓参りは先祖供養の一部ですが、「お墓参り=先祖供養」ではありません。
私は「占い師になろう」なんて考えていたわけではなく、いつの間にか、なったような気がしていましたが、自分の宿命を観てみたら「仲間作りをして良い人間関係を築き、教養を積み、趣味や風流心で人を導き、仲間と何かをする人生」と書いてありました。
先祖という根が腐った樹の枝(子孫)に、花が咲くこと(繁栄)はないということです。
原因があるから起きていることを、原因を取り除かないのに、現象だけ抑えることはできないわけで、この世とあの世には時間のズレがある(れっきとした物理学の理論です)ので、今年やった改善策で、来年起きる予定の年忌現象を避けることなど不可能です。
海外の宗教は仏教ではありませんが、宗教との結びつきは日本よりもはるかに強く、「政教分離」などしている国はほとんどなく、海外ドラマなどでは取り上げることがないので、日本人が勝手に「迷信で、日本だけの話だ」と思っているようです。
お母様のガンが治ったあと、まだ半分くらいの兄弟が残っていたので、説明されたそうですが、全員「偶然」で片付け、その全員が祖父の年忌の年にガンでになって亡くなられたそうです。
自分は先祖の集大成です。 お墓があるなら、大事にされた方がよろしいでしょう。
お父さんがお墓を放りっぱなしだったから、一人娘に身体の異変(医学では説明ができないほどの異変です)が起きて、その異変が解決して、その時は先祖に約束したのに、約束を破った結果が起きただけのことです。
年忌現象で1番多いのはガンですが、不思議なことに医学が進めば進むほど、ガンは増えております。
年忌供養は、すべてを行って完成で、やっていない年忌があると「年忌はやっていない」ということになります。
1回や2回ならまだしも、何年も、あるいは何代も、そういうことを続けていますと、ガンや事故は当然として、もっと思いもよらない(既に現象が起きている方もいらっしゃるので書けません)問題も起きてきます。