このことを供養の世界では「先祖の波が騒ぐ」という言い方をするのですが、感覚的に言えば「供養をしてよ」と先祖が寄ってきて、肩を揺さぶっているような状態で、先祖というのはマイナスの気なので、生きている人間(プラスの気)にとっては、「生きることを邪魔する気」になりますから、それが現象として、ガンや頭の病気として出てくることになります。
私どもの会員になられる方で、師匠のお客様から数えて30数年、お伝えしていることをきちんとやった方の家庭には、いじめも、いじめられも、不登校も、ガンもありません。
特別な理由もなしにお墓に行っておりませんと、「お墓は祀り(まつり)を欲しがる」といって、まだ寿命ではない人の葬式(祀り)を出してでもお墓に来させようとすることもありますので、気をつけなければいけません。
だからといって「すみません。来年からやりますので、これまでのことは…」というような、都合のいい言い訳は一切通りません。
人生を、未来を変えたければ、まず過去を綺麗に清算することです。
世の中の相当数の人が「不運」で片付けるしかない問題も、実は先祖供養をしていない家でしか起きません。
「重要性に気付いたので、今年からやります」というのは虫のいい話で、これまでやってこなかったことを詫びる必要はあります。
知らないで過ぎた30年の宿題を、お金を払って他人(私ども)に解決してもらったのに、問題の意味を知ってからの3年間、何もしなかったことを先祖は許してくれなかったということです。
先祖の怒りを解くのは厄介なので、宗派変えはしないようにしましょう。 もしやっていたら、”お詫び”をして、早急に元に戻さなくてはいけません。
私どもが教わった方法で”供養”しますと、確かに、普通では起きないことが起きますので、「供養が通った」と解釈しているわけです。
先祖のあの世での幸せを祈って「おしあわせに」という一言であるということを教えると”形”ができ、「形ができると心はついてくる」ので、自然と先祖を敬う気持ちが出来てきます。
大きな声でなくても構いませんが、腹に力を入れて、ゆっくりと話すのがコツです。
”先祖供養”の世界には「普通では起きないことが起きたら、先祖供養が通ったと思え」という言葉がありますので、ある方が先祖供養をしても何も起きなかったら、先祖供養はできていないと考えてよろしいでしょう。
過去にガンや自殺がいたという情報でさえ、生年月日にインプットされるくらいですから、先祖の訴えくらいなら簡単に現象に変えてしまうわけです。
実は、現象には、もっと意外なものも多くて、それを先祖と結び付けられない人も多く、思わぬところで、それが起きている人も多いのですが、先祖供養をしないのも本人の意志ですから、結果は結果として本人が受け入れるしかないのです。
その人たちに感謝の思いを伝え、亡くなった後の世界での「しあわせ」を祈ることを先祖供養といいます。
先祖供養をすることは、自分の先祖だけならず、すべての生命に感謝を伝えたことになりますから、すべての命を味方にすることができるのです。
お墓参りと先祖供養は違います。 お墓参りは先祖供養の一部ですが、「お墓参り=先祖供養」ではありません。
私は「占い師になろう」なんて考えていたわけではなく、いつの間にか、なったような気がしていましたが、自分の宿命を観てみたら「仲間作りをして良い人間関係を築き、教養を積み、趣味や風流心で人を導き、仲間と何かをする人生」と書いてありました。
原因があるから起きていることを、原因を取り除かないのに、現象だけ抑えることはできないわけで、この世とあの世には時間のズレがある(れっきとした物理学の理論です)ので、今年やった改善策で、来年起きる予定の年忌現象を避けることなど不可能です。
海外の宗教は仏教ではありませんが、宗教との結びつきは日本よりもはるかに強く、「政教分離」などしている国はほとんどなく、海外ドラマなどでは取り上げることがないので、日本人が勝手に「迷信で、日本だけの話だ」と思っているようです。
お母様のガンが治ったあと、まだ半分くらいの兄弟が残っていたので、説明されたそうですが、全員「偶然」で片付け、その全員が祖父の年忌の年にガンでになって亡くなられたそうです。
自分は先祖の集大成です。 お墓があるなら、大事にされた方がよろしいでしょう。
年忌現象で1番多いのはガンですが、不思議なことに医学が進めば進むほど、ガンは増えております。
年忌供養は、すべてを行って完成で、やっていない年忌があると「年忌はやっていない」ということになります。